国語って伸びるの?
国語って伸びるの?
僕は懐疑的ですね。国語も教えてますが。国語の先生は「伸びる」って言うでしょう。だって「伸びない」って言ったら、自己否定でしょ。
うーん…でもどうなんですかねー。
大学入試と中学入試の違いは、小説の比率です。大学入試は早稲田の文学部以外は小説は出ません。評論だけ。
感性ですからね。その子の感性を判断することになる。心理テストがわりならまあ、それもあるのかな。でも読解力と関係があるのか。
僕は中学の時、「星野くんの二塁打」という文章で×をもらったことがありました。
少年野球が舞台で、主人公の星野くんは、チャンスで監督の送りバントのサインを無視してヒッティングに出て、サヨナラ二塁打を打った。ところが試合後のミーティングで監督が「今日は試合には勝ったが、ひとつ残念なことがあったんだ…」と話し始めます。
星野くんの二塁打のことです。
監督の苦しげな、かつ、悲しげな表情を見てみんな言葉を失った…
そんな感じで終わっていた。
で、「この文章を読んであなたが感じたことを100字から200字で書きなさい」という問題。
僕は「結果オーライだろう。監督の立場からはそう言わざるを得ないのだろうが、ヒーローを吊し上げるような発言はどうなのか?そもそも、僕は一球ごとにベンチの監督を振り返り、うんうんって頷く高校野球を見ていると、これでいいのか、と思う」というようなことを描きました。
10点の配点で0点。なぜ×なのか先生に訊きに行きましたよ。納得いかなかったですね。文章表現で0になったとは思えなかった。書いた内容を判断された、と思いました。野球部の副顧問でしたしね。(親に言ったら、そこはダメだろーって言われました。野球部関係の人が採点するのにそんな解答かいてどーすんだ、頭悪すぎ、と。笑)
先生は「いちいち答える義務はない」と言ってましたが、ギクッってしてましたね
そういうことが今の中学受験でもあります。要は出題者の書いてほしい答案が書けるかどうか。それを忖度する能力が国語力になってる感じがね…
例えばイソップの欲張りな犬の話し。あれ、「積極的にリスクを恐れずにチャレンジした主人公を責めるべきではない」と書いて何が悪い?国語的にですよ。
模試などで、主人公の心情を説明しなさい、とあって、「ん?」って言う答案を書く子がいます。でも、確かにそういう心情ではない、と100%言えないような場合ってあります。それを0点にして良いのか。思想信条で評価してないか?
そう思うわけです。
副詞の空欄補充。
「しきりと」汗をぬぐった
「ふいに」汗をぬぐった
「おもむろに」汗をぬぐった
(ちなみに「おもむろに」はゆっくりと落ち着いた様です。突如、という意味ではない)
しきりと、が正解になってますが、なぜ「ふいに」ではダメなのか。ひどく焦っている様が書かれているから「しきりと」が正解、と模範解答に書いてあるが「ふいに」だって良いじゃないか。汗のかきかたには個人差もあるでしょ。
これが「しきりと□をぬぐった」で、空欄にいれるのは 汗、涙、よだれ、鼻水、血
から選ばせるのは分かりますよ。でも、上の副詞の空欄補充は、問題として成立してないんじゃね?
そう思いますね。
結局、国語って教えるものでも教わるものでもない。
良い国語の先生って、その辺りを言葉巧みに説明して「分かった気にさせる」ことに長けてる人のことじゃないのかなぁ…
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。